「合気道練習上の心得」について<その2>
植芝吉祥丸:『合気道のこころ』より
一、合気道は一撃克(よ)く死命を制するものなるを以て練習に際しては指導者の教示を守り徒(いたずら)に力を競ふべからず。
→ 自分勝手な稽古をおこなわず己を無にして指導者の教えを守らなければ、正しい合気道は身につかないこと。
ニ、合気道は一を以て万に当るの道なれば常に前方のみならず四方八方に対せる心掛けを以て練磨するを要す。
→ 日ごろから四方八方に気を配って隙がないよう心身を充実させることが、武道としての合気道の稽古には欠かせないとの心得。
三、練習は常に愉快(ゆかい)に実施するを要す。
→ 厳しい稽古の苦しさを苦痛と感じないようになるまで修業すれば、稽古することが愉快になるという心得。
私(植芝吉祥丸さん)は「愉快」には大いに賛同するものである。武道というと、えてして何か肩をいからせ肘を張る悲壮感を連想されがちであろうが、それはまだ修業者当人が本当の武道の心得も自信もなく、その心得のなさや自信のなさを押し隠そうとしていたずらに虚勢をはっている姿にすぎない。真に武道の心得のある者はむしろ肩肘の無駄な力が抜けて外見は優姿(やさすがた)に見えるものであり、真に自信がある者はゆうゆうとして常に「愉快」な気分を面にあらわすものである。いわゆる「外柔内剛」、日ごろは地味で謙虚であり、起居振舞もごく自然で無理がない。つまり、ありのままの自分をありのままに見せながら、自然に生きれる者こそ真の武道の修業者といえるのではないだろうか。
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